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成瀬台にお住まいの皆さん、いかがお過ごしでしょうか?デジタル委員会です!

最近は、本格的に寒くなってきましたね。部屋を暖めて、風邪をひかないように気をつけましょう。

成瀬台2丁目自治会HPでは今回から、新しい企画を開始します。

その名も、「教えて!自治会員さん」。

この企画では、成瀬台2丁目自治会の自治会員さんを中心に、地域にお住まいの方々が楽しむことのできる記事を執筆いただき不定期で公開していきます。

第一回は、「成瀬台、50年の歴史」と題し、2丁目にお住まいの方に記事執筆をお願いしたところ快くお引き受けいただきました。

私たちが住んでいる成瀬台、とても住みやすい地域ですよね。でも、この成瀬台地域がどのような歴史を持っているのか、成瀬台がいつできたのか、詳しく知っていますでしょうか?

今回は、成瀬台50年の歴史と題して、成瀬台の誕生から今までの変遷を見ていきます。

それでは、お楽しみください!

成瀬台、50年の歴史───────

<江戸時代の成瀬地域の地図>

町田地方史研究会「町田の地名 南地区」より引用

編集者コメント:こんな古い地図がまだ残っているのですね。江戸時代から、三叉や東雲寺といった地名は存在していました。この頃は、私たちの成瀬台はまだ見る影もありません。

現在は、町田市の中でも成瀬台は平坦で通りは広く、整然と区画整理された素敵な街です。

でも数十年前までは緑豊かな丘陵地帯でした。なかなかイメージ出来ないかもしれませんが、西に位置する成瀬山や東の尾根道に残るようなブナやナラの広葉樹の林が広がっていました。

道路は東西に走る成瀬街道とそこから北へ、「味の民芸」から東雲寺を通って「いなげや」の五差路を斜めに庚申塚公園の東を通り、谷戸を抜けて三和の方へ下る道と、成瀬コミュニティセンターから北へ上り三つ又へ抜ける道だけでした。その二本の道に沿って細い川が流れていましたが、その流域と恩田川沿いに、そして成瀬街道沿いに田んぼや畑が広がる農業地帯でもありました。

<明治19年の成瀬地域の地図>

町田地方史研究会「町田の地名 南地区」より引用

編集者コメント:東雲寺や三ツ又など、見慣れた地名がありますが、この頃の地図には「成瀬台」の文字はありません

住居は成瀬街道や北へ延びる二本の道沿いに点在し、商店は成瀬コミュニティセンターのあたりに二軒ありました。小学校はその成瀬コミュニティセンターのところに南二小があり、中学校は高ケ坂のほうの町田二中まで通っていたそうです。

東雲寺は昔から今の場所にありましたが、杉山神社はもともと成瀬高校のあたりに建てられていました。あの辺は水田地帯でたくさんの樹木に囲まれていたそうです。町田市の都市計画によりその地域に成瀬高校や都営団地を作ることになり、昭和59年に今の東雲寺の隣に移転しました。

(東雲寺公式HP: https://touunji.com/

https://touunji.com/history/ よりお借りしました

恩田川の桜は毎年美しく咲いて私たちを楽しませてくれますが、昭和45年頃より改修護岸工事が進められ、その頃から桜の木を植えて町田でも有数の桜の名所になりました。未来の人たちのために美しい桜並木を残したいものです。

デジタル委員撮影:昭和45年から春の恩田川を彩る美しい桜

こどもの国は、旧日本軍の弾薬庫があったところで戦後は米軍が使っていました。

今でも当時の名残りの洞窟などがあるそうです。こどもの国線は弾薬庫に物資を運ぶための路線だったわけです。

今では通勤通学にも使える便利な路線になりましたが、しばらく前まで休日に観光客を運ぶだけの電車でした。昭和40年、今の上皇ご夫妻のご成婚を記念してこどもの国が開園しましたが、開園当日は当時の皇太子ご夫妻が成瀬街道を車でパレードされたそうです。

横浜線成瀬駅は昭和54年4月に開業しました。当時の写真を見ると相鉄ローゼンもまだ出来ていません。成瀬高校から成瀬駅まで行く道路は開通しておらず、成瀬台から電車を使うには結構大変な思いをしました。

中央公園北側の石碑に成瀬台の開発の経緯が記されています。昭和45年より東京都知事の認可を受け、組合員141名で成瀬土地区画整理組合をつくり、大林組による土地の造成、野村不動産を中心に住宅建設と販売が進められました。

成瀬台の特長はゆったり整理された街並みと豊かな自然だと思います。

公園も多く、西には成瀬山、東には尾根道という絶好の散歩コースもあります。菜園を借りて野菜作りを楽しんでいる方もいらっしゃいます。これから働き方改革が進みリモートワークも一般的になれば、成瀬台は単なる住宅地だけでなく、楽しく過ごすことの出来る街になることと思います。


<平成20年の成瀬地域の地図>

町田地方史研究会「町田の地名 南地区」より引用

編集者コメント:この時期になると、地図に成瀬台の文字と、住居がびっしり書き込まれています。私たちがよく知る、成瀬台です。

なお成瀬台および成瀬地区の昔のこと、縄文時代から明治・大正・昭和については「成瀬台二丁目自治会 40周年記念誌」に柳田和雄さんが詳しくまとめておられます。写真は「写真アルバム 町田市の昭和」より使わせていただきました。

ーーーー編集部コメントーーー

成瀬台の歴史を教えてくださり、ありがとうございました!

住んでいる地域の歴史を知ることで、さらに愛着が深まりますね。

次回の投稿はまだ未定ですが、不定期に投稿していく予定です。お楽しみに!

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